りゅうふぉん日記2005

 INDEX  
12/13 「イライラ気分の巻き」  
6/10 「晴れ女の私U (惨敗偏)」 9/3 「雲南紀行」
6/4 「晴れ女の私」 5/29 「徹夜とシャプシャプの日々」
4/12 「気まぐれカプリス イン 上海」 5/20 「散歩の賽馬」
1/1 「氷の微笑」って無理〜!   4/2 「ちょっぴり不安な上海ツアーズ」



イライラ気分の巻き

2005年12月12日 晴れ

 
今は年賀状を作っています。画像を修正するソフトがありますが、やり方を覚えていませんので、結局私の

HPの管理者うえちゃんに昨年同様デザインするを頼んでしまいました。

彼はいつも忙しくても良く私が頼む事をすぐにやってくれます。

今年の年賀状は相変わらずに注文が多くて何回も繰り返しさせたのですが、すぐに直してくれてとても助かり

ました。



いろんなことでそもそも思いますが、私の周りにはいい人ばかりで助けてくれて 今の気楽で仕事を順調にして

いられる不器用な私がいます。

写真入りの年賀状はパソコンの印刷する場合は画像良くするために「高精密」でやっていますので、時間が

かなり掛かります。今は、家にいる間に、練習の間でもずっとプリンタの音をしてうるさくてイライラしている私。



2006年賀状イメージ??


・画像は先生の業務用(?!)の年賀状、、の「これはなんでしょう?」的ヒント画像です。(笑)

先生から頂いた元ネタは結構ラフな指示なんですがね、。

完成して送ると微妙な部分にこだわった指示をいただきます。

、、なんでしょうね、、。そういえば絵を描くのが好きって以前聞いたように思います。

たぶん何かそんな絵心、、そんなせいかも、、。ああ、でもそんな人は自分でやりますしね〜〜謎 UE


「雲南紀行」

2005年8月3日〜10日           雲南省の地図

北京 → 昆明 → 西双版納(シサンバンナ)→ 大理 → 麗江 → 玉龍雪山 →昆明 → 北京

  

雲南省は39.4平方キロ。人口400万。

昆明:約1900m

大理:約2000m

麗江:約2300m

玉龍雪山:約3200m



多山、多民族の中国の西南高原地域。8個少数民族自治区。


26の少数民族が同じ地域に、いろんな習慣及びスタイルで生活している不思議な地域であります。

年中の平均気温は約18度。ミャンマー、ラオス、ベトナムとの国境がありながら異国の風景が感じられます。



8月3日 北京→昆明

北京から飛行機で約3時間45分の距離の昆明市は

雲南省の中心地です。

一年中の平均気温は14.5度ですが、私が行った8月は

一番暑い時期と言われて、昼ごろは約23度くらいでした。

但し、日が強いですので影があるところは、とても涼しい

ですが、日が当たるところには暑く感じます。

昆明空港は珍しく市内にあります。

市内の中心地にあるホテルまで車でただ10分の距離

でした。それは最初の驚きこと。



ホテルの部屋に入ってエアコンが無い事が気をつきました。

部屋の中に蚊に予防する機械(?)が置いてあります。
(どんなもんでしょうね〜?)

昆明はエアコンを使わないことに昆明の人たちの自慢することの一つだそうです。

昆明に着いたのは夜の9:00ごろ。肌が少し寒いくらい気温で気持ちがいいです。


ホテルに荷物を置いてすぐに食事へ出かけました。やはり屋台ですよ。昆明料理は辛くて(とんからし)、

麻(山椒)しています。昆明の名物―過橋米線と貝料理を注文しました。両方とも料理の上の一面に唐辛子と

山椒ばかりです。怖しいでした。とても美味しいですが、結局辛いとマーのお陰で、私の口が痺れてまったく

味が感じなくなりました。舌をずっと外に出して、ホテルまで帰って沢山のお水を飲んでも全然直りません。

参りましたよ。昆明の料理を見直ししなければいけません。 


空港の向かえに来たイ族出身のガイドさんが、私を見て驚き話を掛けてきました「あなたは雲南の美人と

言えませんね。肌が白すぎてお嫁さんにいけないよ。雲南は肌黒いほうが美女だと言います。

でも大丈夫です、8日後きっと美女になるでしょう」と。その話の意味は8日間後にようやくわかりました。




8月4日日 石林

朝7:00に出発。

昆明から96キロを離れている「石林」(イ族自治県境内)に

車で行きます。石林は溶石です。2億7千年前の海底だと

言われています。巨大な石がもう一つ巨大の上に、2億年

以上も危ないと思うほど角度で乗っています。地震があっても

、全然動かずにそのままの形にしています。その沢山の石は

、いろんな怪異な形でとても不思議な感じでした。





8月5日、6日 西双版納(シンサンバンナ タイ族自治区)


 
西双版納は私がずっと憧れ、遥か遠い向こうのところであります。

熱帯雨林や少数民族について神秘感が溢れるところだと思っています。

 昆明よりはかなり暑いです。気温は多分35度に超えます。

ぼーとする感じでした。


 最初足を踏みいれたのは野象谷です。野生の象がよく出没する熱帯

森林と聞きました。運がよければ野生象群が見えますが、私は運が良く

なく象たちの糞
(うんだね!)だけを見ました。ちょっと情けない気持ちで

した。糞はまだ完全に乾いていませんので、そんな遠いところに行って

いないと考えられます。

森林の中をずっと歩き続け、お昼の後に象のステージがありしたが、

疲れて行かずに、屋根がある休憩所で1時間ほど座ったまま気持ちよく

寝てしまいました。夜は少数民族の舞踊を見てホテルに戻ってぐっすりと寝ました。

(劉鋒さんは日本でも歩くのは大嫌いなんですよ〜〜。)



 翌朝6:45出発。熱帯雨林へ進発です。2時間ほどを歩いて

疲れてきたところに、ある男の人が声をかけて来ます。

「かごを乗りますか?」と。えっ、「かご」ですか。

すぐに心が揺れました。

そのまままた1時間くらい続けて歩くのは、考えても恐れている

ところですし、夜は8時間も寝台の汽車で大理に行く予定です。

大理に着いたら休みなく直接に出かけなければなりません。。

でも、森林の深い向こうに行きたいです。
(写真はハニ族の村です。得意のわがままが出てきてます。)
 


値段を交渉してそのかごに乗ってしまいました。

森林を歩いている人の前を、かごに乗って通ることは、本当に今までそんなに恥ずかしい事が無いくらい、

恥ずかしかったです。でも言い訳があるでしょうと自分に説得していました。

(でも歩かなくて良かったので、めでたしめでたし 謎)





8月7日 大理

大理は白族自治区です。海抜2000m。

4000年くらい歴史を持っている古城。

300年前に大理国として一時栄えていました。

建築物に興味あるならとてもいい見るところでしょう。

ここの名物は大理石です。



8月8日 麗江(ナシ族自治区)

 麗江古城の「四方街」は海抜2300m。1999年にトンバ文字と共に世界文化遺産と登録されました。

可愛いい素敵な古い建築物が両側に並んでいます。石の地面でできた小さな町で、沢山の店がやっています。
山泉が町の真中に通して流れています。

街の小さい広場にナシ族のおばさんたちが踊っている姿が見えます。「四方街」の道はかなり複雑で入ったら

出られなくなりやすいです。「山泉の水の流れと同じ方向で行くなら街に入る、山泉の水の流れと逆方向に

進んでいくと街から出る」と現地の人から教えてくれました。



 「四方街」で歩きながら臭豆腐の匂いがずっとしています。「お腹が減った〜」と急に起こしてしまいました。

あるナシ族のおばさんの屋台に足が止まって動けなくなりました。1串に5個の臭豆腐を挿しています。

2串を買って歩きながら一気に食べました。もういいでしょうと思って、街を歩き続けますが、先の「臭豆腐は

美味しいね〜」との想いが、頭の中に離れられなく、どうしましょうと思ってある決意をしました。

さっきのおばさんのところに戻って、また臭豆腐を買おうと思いました。

今度は3串を買って街中の椅子に座って気持ちよく食べました。


食べ終わったところにお腹がキツイと感じました。苦しい〜。そうですね、臭豆腐を合わせて
25個を短時間で

食べてしまいましたよ。馬鹿だな〜と思いましたが、今更、なんかもう遅いです。
(食べすぎです!って)



ナシ族のおばさんたちが「四方街」の広場で踊っています。

臭豆腐=ちょうとうふ 普通の豆腐を長期発酵させたビタミン豊富な「臭い食べ物」。

紹興酒とよくあいます、、って言います。ちなみに「匂いセンサー」で、納豆=463 生ごみ=522 の時に、


臭豆腐=1821
をたたき出したという記事があります。日本人的には肥貯、うんち系のスメルです、たぶん、、、。

世界的には、100人の内98人が気絶して、2人が脂肪寸前と言われる韓国の「
ホンオ・フェ」、スウェーデンの

ドブ川テーストの料理「
シュールストレンミング」についで世界三位の匂いです。いずれも発酵食品ですが、。

ホンオ・フェは魚のエイ、シュールストレンミングはにしんです。劉鋒さんは好きなのね、、臭豆腐、やはり、、。)




 「四方街」の中の一つ道はバーの道となっています。道の真中はやはり山泉の水が流れています。

夜にトンバ舞踊を鑑賞してからバーの道に入ってナシ族の料理を選んで食事を取りました。そのロマンテックの

感じはとても忘れられません。その後はタクシ-で5分くらい距離のホテルに戻ったのは12時前でした。

(バーの道ってレストランや居酒屋が多いってことでしょうか?)

 麗江の気候の特徴は雨が頻繁に降ったり止んだりしています。傘が忙しくてとても面白い体験でした。



8月9日 玉龍雪山

 朝6:30に麗江市から車40分ほどの玉龍雪山へ行きます。車の中で、またぐっすりと寝る私が「よく寝ますね

と運転手に言われました。目が覚めたら玉龍雪山の下に着きました。「寒〜い」と車に降りた途端に鳥肌が

立っていました。

玉龍雪山は海抜3200mです。高山病を予防するために、昆明に着いてから、蔵薬(チベット薬)を飲み始め

ました。薬のせいかどうかわかりませんが、体の調子がかなり良いです(よく寝るせいでもあるでしょうね)。

その日は霧が多くてちょっとしたところで見えなくなります。これからローブウェーに乗るという時に、霧で山が

見えないと聞きました。その瞬間、私は「山登りをやめましょう、他のところに行きましょう」と決意をしました。

結局玉龍雪山の雪の風景を全然見えませんでした。


   

          ハニ族のおじいさん。              白河川原でイ族の衣装を着ている私
                                     (帽子は毛皮で作ったもので重たい)



8月10日 昆明→北京

 寝台の汽車で昆明に戻ったのは朝の5:30。夜の飛行機で北京行き。朝食して飛行機を乗る前までは昆明で

観光する予定がありましたが、「ホテルを取って寝た〜い。どこにも行きたくありませ〜〜ん」と私。これは

世話する方をかなり驚きさせました。きっと「そんなわかままな人がいる」と思われているでしょう。

仕方がなくホテルを取ってくれました。
(劉鋒さん、相変わらずお姫様コースです。)

 夜11:30北京に到着。8日間の雲南行が終了しました。



最終編

 8日間後、北京に戻ってきました。ホテルの部屋に入って鏡で見たら、黒い、赤い皮膚をしている私が見えて

います。今頃、昆明に着いた時のガイドさんの発言の意味がわかりました。8日間を掛けて私は雲南の美女に

なっています。今なら雲南のお嫁に行けますね。


「晴れ女の私U (惨敗偏)」

2005年6月10日 雨

 新潟の学校公演で,N饗交響楽団団友オーケストラと一緒に楽しいコンサートをして東京に戻ってきました。

 そして
悲劇の事故が起こしました!


 家が近くになった途中で、アッっと思い出したことに一瞬で冷や汗が出ました。「家の鍵!」

実は新潟の学校公演で、また
(来週)12日から新潟に行く事になっていますので、荷物をホテルに預けて帰り

ました。家の鍵を預けた荷物の中から出す事が完全に忘れってしまいました。

予定通りの新幹線よりかなり早い時間帯の車両に乗り込んで早く帰ることできました。しかも、荷物が無いし、

気楽、気楽だな〜と嬉しくて新幹線の中にグッスリ寝ました。家の鍵の事は全然考えていませんでした。



 雨の中から
(自宅の)隣の写真屋さんに入って「ごめんなさい。部屋の鍵を開けってもらう会社というものが

ありますね?もし知っているなら教えて頂けますか?」といきなり変な質問。

「かぎの救急車というでしょう」と答えが返ってきました。その質問に対して相手が全然違う事がわかりますが、

雨だし、どうしょうもがなく、お許してという気持ちでした。
(文意不明で解釈困難(笑) 

 写真屋さんの方がとても親切に電話帳を出して、かぎの救急車の電話番号を探してくれました。腰を下がりな

がら何回も「ありがとう・・・」を言いました。
(なんとなくわかります!)

 電話で取い合わせたら、「1時間半を待ってください」と言われました。

「長〜いわねっ」と思いましたが自行自得ですのでしょうがありませんね。



 近所の喫茶店に入って家のポスター
(これはたぶん単語ミスです。先生のマンションの玄関にある集合郵便

ポストの事ですね。)
から出したいろんな広告を読み始めました。ポスター(ポスト!)中の広告を読んだことが

ない私は時間を潰す為に初めて悲しく、しょうがなく広告を読みました。



 言われた時間より早くかぎの救急車の方が来まして凄いスピードで開けってくれました。

 本当に悲しい、泣きそうな日でした。雨だしね〜。「晴れ女」の私が今日は文句なく負けました。

悔しい〜!!!

※ちょっと心配なのですが、合鍵が部屋にありますかね〜?

また出かけるときに今度は施錠できないすよね、、どう?う〜〜ん、、。UE

⇒その後先生と連絡が取れて、『合鍵が1個』部屋に残ってるからOKとの事。めでたし、めでたし!


「晴れ女の私」

6月4日 曇り→大雨→曇り

 自分で言うと変ですが、いつも晴れ女と自己評価しています。

 今日は「劉鋒二胡研究会」の年一度の発表会でした。朝から曇りで寒くなくて、暑くもないというちょうどいい

気温の日です。研究会の事務局のYさんから「雨が心配ですね」と言われた時に、私は何にも言わなかったで

すが「大丈夫でしょう」と声を出さずに、とこかで自信満々に答えていました。結局は発表会が終わった後、

すぐに雨がだんだん降り始め、打ち上げパーティの店に入った後に大雨になりました。

そして考えたら可笑しいですがパーティが終わって外に出る時に雨はしっかり止みました。

今日の天気は私の迫力に負けてくれたこと・・・???(大笑)

とにかく今日の大雨は発表会に全然影響がなかったことでした。凄い。万歳です。



発表会の下準備はかなり時間がかかって、発表会の実行委員会の方々は全力で当日までいろんな努力して

来ました。

 ステージの段取りや準備、すべて順調で進んでいきます。発表会は予想より30分以上早く終わらせました。

音響のあとかたずけの時間が必要だそうで、ホールに時間を制限されていました。それは私の一番の心配事

でしたが、無事終了できました。



本番前全員で音合わせ



発表会前のレッスンの時に「皆さんは演奏した後にお辞儀してサッサっとステージから消えてください」と私は

冗談交じりで言いましたが、本番の時に本当にサッサっとしてくれました。凄いスピードでした。
 
 今年の発表会の演奏は去年より全体の演奏レベルがかなり高く、本番から最後の解散まで、私はずっと皆さ

んに「お疲れ様」より数え切れなく「ありがとう」を言い続けました。心を込めて。皆さんの素敵な演奏は、先生に

対して最高の褒め言葉だと思います。

 毎年同じく、本番の時に私は客席と舞台裏に行ったり来たりうろうろしていましたが、でも今回は第一部が

終わって休憩の後に客席へ行こうと思って行ったら席がなくなりまして入れませんでした。
(ほぼ満席でした)

客席から敗退して情けない先生でした。 



 発表会の模範演奏の曲は、プログラムを印刷する直前まで何回も変えたりしていました。発表会の前日、

横浜教室のレッスンを終わって家に着くのは夜の11時過ぎ。二胡、揚琴、琵琶三重奏の二曲目の「採茶捕蝶」

福建民謡の譜面を書き始めます。民謡のままだとつまらないと思って編曲をしていました。譜面を書いたり直し

たりして終了は朝の5時近くでした。今朝、揚琴の成燕娟さん、琵琶のウェイウォンさんと楽屋でリハーサルし、

問題なしと言うことで そのままに本番へ入りました。やはり 心が通じ合う仲良し三人仲間ですので文句なし

譲り合ってとても楽しくその曲を演奏していました。
(この二人じゃなかったら)危なかったですよ。

こんな急な編曲この二人しかやってくれないと思います。気持ちよかったです(きっと二人は急に出された曲で

文句があったけど言わなかったでしょう)。
 


 今日のもう一つ出来事。それで私の涙を誘っていました。

 打ち上げパーティの途中に、一本の電話が入りました。神戸の中国音楽コンクールに参加している研究会の

生徒のKさんからの電話。「先生、今は本選が終わりました。金賞を取りました」との電話でした。私は嬉しくて

話が出来なくなりました。今日は先生として答えて来たことが多すぎて、その答えを受け取る手がいっぱいいっ

ぱいになって・・・。
(?、笑)

 
劉鋒二胡研究会の皆さん、本当にありがとうございました!これからも一緒にもっと楽しい事をしましょうね。

 文章が長く長く書いてしまってまとめられなくなりました。

皆さんはこの文章を読めますか?心配になっています

一部修正くわえましたが大体わかりますよ。ちょっと難解な文藻が一部ありますが意訳すればOK!!(笑) UE

発表会無事終了で記念写真


「徹夜とシャプシャプの日々」

5月29日 晴れ
 
 翌日にもしコンサートがあると,ほぼ前日の夜は眠ないペースが多いです。あるい朝まで眠れない場合もあり

ます。

昨日の大阪中央公会堂のコンサートの前日は横浜教室のレッスンをして、家に戻ったのは夜の23:30でした。

その後にいろいろなコンサートの荷物や譜面の確認などを再びして、練習も少しできて、シャワーを浴びったら

朝の4時近くになりました。少し横になった後、5時過ぎごろに家から出かけ、朝一番の新幹線で新大阪に向か

っていました。

 朝の10:30から本番というコンサートは珍しいものです。

プログラムの最初のところは、手が習慣性的に動いて、その間に「脳神経を早く動かして」と自分に話をかけま

した。「戦馬奔騰」の曲で田中幹子さんの元気なピアノの音で目が覚めて来ました。

 私と違って田中幹子さんは朝元気いっぱいでしょうがありません。朝は本当に負けますよ。
 

今日は、ヤマハ新宿クラッセ十周年記念ミニコンサートに中国琵琶のウェイウォンさんと演奏に行ってきました。

前日は寝ていないせいで、昨晩はよく眠りまして今朝起きて鏡の中に元気な顔をしている自分に自己満足で

した。フフッ。

演奏した後に新宿の「車軒」という店に入って二人で食事をしました。一階はステキ、二階はしゃぷしゃぷの

牛肉料理の専門店です。私はウロン茶で、ウェイウォンさんは最初にビール、後は焼酎で二人の
しゃぷしゃぷ

でした。肉が大好きな私は美味しい牛肉を食べて大〜満足。




※フォントが小さいので見難いかも知れませんが、劉鋒さんは
「しゃ
しゃ」ではなくて「しゃしゃ」だと思ってる様子です。
日本人的には「ビビン
」とか「ギス」みたいな難しい扱いの単語かもしれませんね〜〜(笑)

     

(左)演奏前CG  (右) 瀟洒なサロンでの演奏会


 


「散歩の賽馬」

5月20日(晴)

学校音楽鑑賞会のために5月16日〜20日まで五日間で、NHK交響楽団団友オーケストラと長野県の上田で

演奏に行って来ました。


今年の長野の今は寒い〜でした。最低温度は3度でしたよ。

特に朝一番の演奏会は9時からです。それは試練でした。
(薄い絹の)チャイナドレスが、冷たく体にぴったりと

付いて、出番を待つ間にずっと体が震えて止まらなかったです。それで風邪を翌日から引き始めました。

一日三回の薬を一日6回で治めるように頑張って飲みました。
(それは多すぎですよ!先生!!)

オーケ
(一般には「オケ」なんで以後オケと表記)と演奏の曲は「チャルダーシュ」、「日本の童謡メドレー」、

「涙そうそう」、「Jupiter」、「もらい泣き」、「賽馬」。


演奏会最終日に記念撮影


「賽馬」は、最初にオケの皆さんがまだその曲を理解していなくて、少し散歩のような感じの馬でした。

私が
(曲の意味を)説明した後からは、凄いスピードを出してくれて楽しい競い「馬」になりました。

いつもオケの皆さんの調子に乗せて頂いて、気持ちよく演奏をできました。

風邪のせいで体の調子は結構悪いですが、演奏のほうはとてもとても楽しいでした。オーケストラの音を毎日

鑑賞しながら合わせて演奏する事が最高でした。贅沢の毎日でした。

そしてオケの皆さんとお互いに「おはようございます」、「お疲れ様です」と言うことで元気とパワーをもらって、

演奏の毎日を過ごしました。

 
貴重な写真をその最後の日の演奏会の後に皆さんと私のデジカメで一緒に撮りました。オケの皆さんの素晴

らしい音楽や優しい心と優しい笑顔が忘れられません。

温泉での朝、スッピンの劉鋒さん。
 


「気まぐれカプリス イン 上海」

4月12日(雨)

 
昨日上海から帰ってきました。

 とてもハードスケジュールで五日間を過ごしました。今回のコンサートの為に作ってもらった「二胡とピアノ

の為のカプリス」などの新曲が大変でした。ピアニストの田中幹子さんと毎日リハーサルをしていました。田中

さんは始めての中国。私は新曲に関して不安で食事、睡眠を取る以外に
(田中さんには)全部はリハーサル練

習をさせてしまいました。ホールでの通しリハーサルも含めて練習になってしまいました。

田中さんは全然上海の観光ができませんでした。今になっても申し訳ないと思っています。


プログラムの中に「紫竹調」(上海のあたりの音楽江南糸竹)を入れて、田中さんにその江南糸竹を聞かせて

あげようと思いましたがそれでもできませんでした。

今回は上海の錦江ホールでコンサートを行われました。ホールは上海の中心地「淮海中路」のすぐところです。

泊まっていた「花園飯店」(日本のホテルオオクラ系)もホールのすぐそばです。


上海のコンサートした錦江ホール前
(画像をクリックすると大きくなります)


 コンサートはその一番心配な新曲含めてとても成功でした。「二胡とピアノの為のカプリス」はリハーサル練

習の時に一度もつながることができませんでしたが、本番は見事に成功して、自分もピアノの田中さんも驚きま

した。

沢山のお客さんが涙を流しながら私にお礼を言いに来ました。毎日のリハーサル及びホテルの部屋の中の深

夜までの練習も良かったと思います。実は二胡の弱音器も用意して持って行きましたが、弱音器が嫌いな私

はやはりそのままで弱音器を使わずに毎日の夜に練習をしました。

音漏れのことで言われる覚悟をかなりしました。でも運が良かったかどうかわかりませんが音漏れがありまし

たが言われませんでした。


コンサートの翌日10日の一日、浙江省杭州市に西湖を観光しました。

「江南糸竹」は江蘇省、上海、浙江省という江南地方の地方音楽の名前です。

中国の地方音楽の中にとても重要な一つ音楽でもあります。

普通は茶館(お茶のみ処)や民家で演奏する場所としている庶民の音楽です。

江南地方の人たちに愛されている音楽でもあり、優雅な音楽に豊かな江南地方を相応しく表現されています。

50年前からその「江南糸竹」は茶館、民家から出されコンサートでも演奏するようになりました。今は江南地方

のいろんなところに毎年「江南糸竹大会」を行われています。中央音楽学院、上海音楽学院の民族楽器学部

はいつも上海の「江南糸竹」演奏名家を招聘し、必ず学生たち(特に二胡科)に「江南糸竹」を一年間の必修の

授業としています。



「ちょっぴり不安な上海ツアーズ」

4月2日(晴れ)

 練習の間にちょっと休みを取ってこの日記を書きます。

 最近いろいろなことで日記を書く気持ちがなくて放置していました。

いろんな人から「最近日記を書いていませんね」と言われました。私のHPをよく見てくださる方に申し訳ないと

思います。

 今月は、上海にてコンサートがあり準備などいろいろとやっています。まず中国語のプロフィールとプログラム

の資料2月末からやり始めました。そして英文を訳して送って来まして確認してくださいと。
(?)辞書を引いたり

して無理矢理やりました。

 只今コンサートの最後の準備の段階になっています。新しい作曲してもらった「二胡とピアノの為のカプリス」

(狂想曲 
カプリッチオ 3 [(イタリア) capriccio] 〔気まぐれの意〕形式が一定せず自由な機知に富む小品。狂想

曲。奇想曲。カプリース。
)や日本の民謡「松島音頭」を編曲した曲などかなり困ら(されて)れています。

毎日の練習でもあまり自信を持てません。

上海のホテルに着いてすぐに上海音楽学院へリハーサルを行う予定をしています。楽しみしている同時に新し

い曲の不安も走っています。




スペシャル・レポート「寒い国から」


「氷の微笑」って無理〜!  浄月潭(ジンユエタン) 長春・中国

1月1日

やっと勇気を出して外に出かけました。車で40分くらいの郊外の森林公園「浄月潭」にて撮ってきた写真です。

(道中は)車の中が温かくて寝てしまいました。(浄月潭(ジンユエタン)森林公園)

外の空気は冷たいというよりも、凍っているようです。呼吸しても空気が肺に入らない

感じがします。冬に入ってから降った雪がずっと解けなくて積っています。車のドアを

開けると突然、雪の世界に迷子になって入り込んだ異
(星人?!)ものみたいです。

森林の中に静かでは、たまに風が吹いてきて松木
(以下松に省略)の上から(雪)が

落ちてきます。松の葉は冬になっても落ちないものと常識で思いましたが、実際見ると

やはりそんな低温の中にも松の葉が負けてしまって無くなっているところもありました。

ほんの少しだけの葉は黒に近い緑の色が無理残し生命の通報をしています。1月1日のここの世界は完全に凍っ

ています。動物もいません。人間もいません。

足元に踏み道がありません。前のところはどんな地面になるか知らない、知らずに一歩一歩少しずつ歩きまし

た。足元にシャッシャッと音がして踏んでいた雪は不友好
(うんうん)に抗議しているようです。冬真中の森

林の安静は誰も起こす権利がないことを教えているようです。

森林公園の中にある湖「浄月潭」は50ー70センチくらい完全に凍っています。氷の世界。

氷の上には雪がさらに積もって、たまに車が遠いところの湖の上を走っていました。私はちょっと勇気出して

湖の上を歩いてみました。緊張してどうしても足がふるえて遠いところに歩けませんでした。遠いところに湖

の堤が見えます。近所には数棟の別荘やペンションも目に入りました。

夏頃はその湖の優雅な姿が幻冬の中にも想像できます。

安全防御の劉鋒さん。すっかりスッピンで少年顔になってます〜。(UE) 写真はクリックで大きくなります。