「雲南紀行」 2005年8月3日〜10日
雲南省の地図
北京 → 昆明 →
西双版納(シサンバンナ)→ 大理 → 麗江
→ 玉龍雪山 →昆明 → 北京
雲南省は39.4平方キロ。人口400万。
昆明:約1900m
大理:約2000m
麗江:約2300m
玉龍雪山:約3200m
多山、多民族の中国の西南高原地域。8個少数民族自治区。
26の少数民族が同じ地域に、いろんな習慣及びスタイルで生活している不思議な地域であります。
年中の平均気温は約18度。ミャンマー、ラオス、ベトナムとの国境がありながら異国の風景が感じられます。
8月3日 北京→昆明
北京から飛行機で約3時間45分の距離の昆明市は
雲南省の中心地です。
一年中の平均気温は14.5度ですが、私が行った8月は
一番暑い時期と言われて、昼ごろは約23度くらいでした。
但し、日が強いですので影があるところは、とても涼しい
ですが、日が当たるところには暑く感じます。
昆明空港は珍しく市内にあります。
市内の中心地にあるホテルまで車でただ10分の距離
でした。それは最初の驚きこと。
ホテルの部屋に入ってエアコンが無い事が気をつきました。
部屋の中に蚊に予防する機械(?)が置いてあります。(どんなもんでしょうね〜?)
昆明はエアコンを使わないことに昆明の人たちの自慢することの一つだそうです。
昆明に着いたのは夜の9:00ごろ。肌が少し寒いくらい気温で気持ちがいいです。
ホテルに荷物を置いてすぐに食事へ出かけました。やはり屋台ですよ。昆明料理は辛くて(とんからし)、
麻(山椒)しています。昆明の名物―過橋米線と貝料理を注文しました。両方とも料理の上の一面に唐辛子と
山椒ばかりです。怖しいでした。とても美味しいですが、結局辛いとマーのお陰で、私の口が痺れてまったく
味が感じなくなりました。舌をずっと外に出して、ホテルまで帰って沢山のお水を飲んでも全然直りません。
参りましたよ。昆明の料理を見直ししなければいけません。
空港の向かえに来たイ族出身のガイドさんが、私を見て驚き話を掛けてきました「あなたは雲南の美人と
言えませんね。肌が白すぎてお嫁さんにいけないよ。雲南は肌黒いほうが美女だと言います。
でも大丈夫です、8日後きっと美女になるでしょう」と。その話の意味は8日間後にようやくわかりました。
8月4日日 石林
朝7:00に出発。
昆明から96キロを離れている「石林」(イ族自治県境内)に
車で行きます。石林は溶石です。2億7千年前の海底だと
言われています。巨大な石がもう一つ巨大の上に、2億年
以上も危ないと思うほど角度で乗っています。地震があっても
、全然動かずにそのままの形にしています。その沢山の石は
、いろんな怪異な形でとても不思議な感じでした。
8月5日、6日 西双版納(シンサンバンナ タイ族自治区)
西双版納は私がずっと憧れ、遥か遠い向こうのところであります。
熱帯雨林や少数民族について神秘感が溢れるところだと思っています。
昆明よりはかなり暑いです。気温は多分35度に超えます。
ぼーとする感じでした。
最初足を踏みいれたのは野象谷です。野生の象がよく出没する熱帯
森林と聞きました。運がよければ野生象群が見えますが、私は運が良く
なく象たちの糞(うんだね!)だけを見ました。ちょっと情けない気持ちで
した。糞はまだ完全に乾いていませんので、そんな遠いところに行って
いないと考えられます。
森林の中をずっと歩き続け、お昼の後に象のステージがありしたが、
疲れて行かずに、屋根がある休憩所で1時間ほど座ったまま気持ちよく
寝てしまいました。夜は少数民族の舞踊を見てホテルに戻ってぐっすりと寝ました。
(劉鋒さんは日本でも歩くのは大嫌いなんですよ〜〜。)
翌朝6:45出発。熱帯雨林へ進発です。2時間ほどを歩いて
疲れてきたところに、ある男の人が声をかけて来ます。
「かごを乗りますか?」と。えっ、「かご」ですか。
すぐに心が揺れました。
そのまままた1時間くらい続けて歩くのは、考えても恐れている
ところですし、夜は8時間も寝台の汽車で大理に行く予定です。
大理に着いたら休みなく直接に出かけなければなりません。。
でも、森林の深い向こうに行きたいです。(写真はハニ族の村です。得意のわがままが出てきてます。)
値段を交渉してそのかごに乗ってしまいました。
森林を歩いている人の前を、かごに乗って通ることは、本当に今までそんなに恥ずかしい事が無いくらい、
恥ずかしかったです。でも言い訳があるでしょうと自分に説得していました。
(でも歩かなくて良かったので、めでたしめでたし 謎)
8月7日 大理
大理は白族自治区です。海抜2000m。
4000年くらい歴史を持っている古城。
300年前に大理国として一時栄えていました。
建築物に興味あるならとてもいい見るところでしょう。
ここの名物は大理石です。
8月8日 麗江(ナシ族自治区)
麗江古城の「四方街」は海抜2300m。1999年にトンバ文字と共に世界文化遺産と登録されました。
可愛いい素敵な古い建築物が両側に並んでいます。石の地面でできた小さな町で、沢山の店がやっています。
山泉が町の真中に通して流れています。
街の小さい広場にナシ族のおばさんたちが踊っている姿が見えます。「四方街」の道はかなり複雑で入ったら
出られなくなりやすいです。「山泉の水の流れと同じ方向で行くなら街に入る、山泉の水の流れと逆方向に
進んでいくと街から出る」と現地の人から教えてくれました。
「四方街」で歩きながら臭豆腐の匂いがずっとしています。「お腹が減った〜」と急に起こしてしまいました。
あるナシ族のおばさんの屋台に足が止まって動けなくなりました。1串に5個の臭豆腐を挿しています。
2串を買って歩きながら一気に食べました。もういいでしょうと思って、街を歩き続けますが、先の「臭豆腐は
美味しいね〜」との想いが、頭の中に離れられなく、どうしましょうと思ってある決意をしました。
さっきのおばさんのところに戻って、また臭豆腐を買おうと思いました。
今度は3串を買って街中の椅子に座って気持ちよく食べました。
食べ終わったところにお腹がキツイと感じました。苦しい〜。そうですね、臭豆腐を合わせて25個を短時間で
食べてしまいましたよ。馬鹿だな〜と思いましたが、今更、なんかもう遅いです。(食べすぎです!って)
ナシ族のおばさんたちが「四方街」の広場で踊っています。
(臭豆腐=ちょうとうふ 普通の豆腐を長期発酵させたビタミン豊富な「臭い食べ物」。
紹興酒とよくあいます、、って言います。ちなみに「匂いセンサー」で、納豆=463 生ごみ=522 の時に、
臭豆腐=1821をたたき出したという記事があります。日本人的には肥貯、うんち系のスメルです、たぶん、、、。
世界的には、100人の内98人が気絶して、2人が脂肪寸前と言われる韓国の「ホンオ・フェ」、スウェーデンの
ドブ川テーストの料理「シュールストレンミング」についで世界三位の匂いです。いずれも発酵食品ですが、。
ホンオ・フェは魚のエイ、シュールストレンミングはにしんです。劉鋒さんは好きなのね、、臭豆腐、やはり、、。)
「四方街」の中の一つ道はバーの道となっています。道の真中はやはり山泉の水が流れています。
夜にトンバ舞踊を鑑賞してからバーの道に入ってナシ族の料理を選んで食事を取りました。そのロマンテックの
感じはとても忘れられません。その後はタクシ-で5分くらい距離のホテルに戻ったのは12時前でした。
(バーの道ってレストランや居酒屋が多いってことでしょうか?)
麗江の気候の特徴は雨が頻繁に降ったり止んだりしています。傘が忙しくてとても面白い体験でした。
8月9日 玉龍雪山
朝6:30に麗江市から車40分ほどの玉龍雪山へ行きます。車の中で、またぐっすりと寝る私が「よく寝ますね
と運転手に言われました。目が覚めたら玉龍雪山の下に着きました。「寒〜い」と車に降りた途端に鳥肌が
立っていました。
玉龍雪山は海抜3200mです。高山病を予防するために、昆明に着いてから、蔵薬(チベット薬)を飲み始め
ました。薬のせいかどうかわかりませんが、体の調子がかなり良いです(よく寝るせいでもあるでしょうね)。
その日は霧が多くてちょっとしたところで見えなくなります。これからローブウェーに乗るという時に、霧で山が
見えないと聞きました。その瞬間、私は「山登りをやめましょう、他のところに行きましょう」と決意をしました。
結局玉龍雪山の雪の風景を全然見えませんでした。
ハニ族のおじいさん。 白河川原でイ族の衣装を着ている私
(帽子は毛皮で作ったもので重たい)
8月10日 昆明→北京
寝台の汽車で昆明に戻ったのは朝の5:30。夜の飛行機で北京行き。朝食して飛行機を乗る前までは昆明で
観光する予定がありましたが、「ホテルを取って寝た〜い。どこにも行きたくありませ〜〜ん」と私。これは
世話する方をかなり驚きさせました。きっと「そんなわかままな人がいる」と思われているでしょう。
仕方がなくホテルを取ってくれました。(劉鋒さん、相変わらずお姫様コースです。)
夜11:30北京に到着。8日間の雲南行が終了しました。
最終編
8日間後、北京に戻ってきました。ホテルの部屋に入って鏡で見たら、黒い、赤い皮膚をしている私が見えて
います。今頃、昆明に着いた時のガイドさんの発言の意味がわかりました。8日間を掛けて私は雲南の美女に
なっています。今なら雲南のお嫁に行けますね。
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