Written by R Asai

■ 西南シルクロードの旅    20190305〜0316



3月5日から16日まで、中国の四川省・雲南省を旅してきました。


 中国の三国時代(魏・呉・蜀)、今の四川省は蜀の国でした。この蜀の絹,、四川省〜雲南省〜ミャンマー〜インドへと運ばれた道が、「西南シルクロード」です。険しい山を越え、深い谷と川を渡る難所の多い道です。


 3月5日。成田から約3時間半、上海で乗り換えて、さらに約3時間半かけて成都着。「蜀の都と成す」という意味の「成都」は、四川省の省都です。

 3月6日。日本より1か月くらい春が早い成都の街は、梅、桜、桃なども咲いて、美しい季節を迎えていました。成都の周辺では、三星堆遺跡、金沙遺跡などの長江文明の遺跡が次々に発掘されて、博物館も充実しています。

写真は、金沙遺跡博物館の前に咲いていた花で、名は「玉蘭」とのことでした。


 

 

 

 

 

 

 

 



 3月7日。成都を出て、西南シルクロードをたどり、四川省の西昌に向かいました。始めは、菜の花畑など春の景色を楽しみながらの高速道路のバスの旅でした。
やがて、4000mを超える険しい山々が見え始め、大渡河を渡った辺りから、大凉山へと入っていきました。トンネル、環状道路の連続で、辺りは雪景色に変わりました。
西昌の標高は、約1500m、大凉山地域の中心都市で、少数民族のイ族が多く住んでいます。


成都から西昌に向かう高速道路から見た菜の花畑



大渡河を渡る

3月8日。西昌周辺のイ族の村などの観光でした。


 
3月9日。西昌から、また西南シルクロードをたどり、雲南省の永仁に向かいました。やはり山道が続きます。途中で、金沙江を渡りました。
金沙江は、東チベットが源で、支流を集めながら雲南省から四川省を流れて、長江と名前を変え、東へと流れていきます。


金沙江を渡る 向こうに見えるのは成昆線の鉄道の鉄橋

四川省の間は、曇りや小雨の天気が多かったのですが、雲南省に近づくにつれて、日ざしが明るく、青空になっていきました。食事も、野菜の料理がぐんと増え、しびれるような辛さの四川料理と違って、味がやさしくなりましたし、果物の種類も増えました。



3月10日。永仁から大理へ向かいました。大理は、13世紀にモンゴルによって滅ぼされるまでは、「大理国」という国があったところで、西南シルクロードと「茶葉古道」が交わります。


大理古城の中心 五華楼

茶葉古道は、雲南のお茶をチベット地方に運んだ道です。チベット地方でよく飲まれる「バター茶」は、発酵させ、四角や円盤型に固めた黒いお茶を使って入れます。気候が厳しいチベット地方では、お茶が採れませんので、茶葉古道によって運ばれるお茶が必要だったようです。茶葉古道は、大変険しい山道で、運ぶのは、ロバほどの小さい体の「雲南馬」。体は小さいけれど力はとても強いそうです。

大理は、標高約2000m、西側に雪をかぶった蒼山が見え、街の中を山からの水が流れる美しい街です。石材の大理石の産地でもあります。大理に多く住んでいるのは、白い地にピンクや赤などのカラフルな花模様を刺繍した服を着る白族です。



 3月11日。白族の村「喜洲」の観光。立派な屋敷があって、茶葉古道の交易で栄えた当時を思わせる村です。自分で作ったものを並べて売っているおばあさんの小さな刺繍の靴の飾りが可愛くて気に入り、6個買いました。

 大理で有名なのは、「崇聖寺」の三塔でしょう。少し傾いていますが、9〜10世紀に造られた当時の姿を見せています。



雪が残る蒼山.


白族の村の喜洲 手作りの物を売るおばあさん



大理の崇聖寺

 3月12日。大理から騰冲へ向かいました。山の間の高速道路を西へと走ります。途中で、「瀾滄江」を渡りました。瀾滄江は、東チベットが源で、雲南省〜ラオス〜ベトナムへと流れ、メコン川になります。山の間に、お茶畑や雲南コーヒーの畑が見えました。

次に渡ったのは、「怒江」です。やはり東チベットが源の川で、ミャンマーへと流れていき、サルウィン川になります。怒江は、瀾滄江に比べて、流れが速く見えます。ガイドさんの話によると「危ない川」とのことでした。

夕方に着いた騰冲は、ミャンマーの国境に近く、西南シルクロードで栄えた街です。今でも、ミャンマーから入ってくる「翡翠」を求める人々が多く訪れるようで、観光客が多いことに驚きました。


瀾滄江




怒江を渡る


3月13日。騰冲の近くの「和順」という、西南シルクロードの交易で栄えた村の観光をしました。写真は、雲南省の各地で見られる花です。バラのように華やかなこの花は、「茶花」という名だそうです。


騰冲の和順古鎮 茶花

3月14日。騰冲の北西にあるリス族の村「古永」に行き、「刀竿節」というお祭りを見ました。古永は、山の向こう側は、もうミャンマーという国境の村です。
刀竿節の名は、20mを超す高さの梯子からきています。この梯子は刃を上向きにした刀で作られていて、裸足で登ることで、リス族の勇気を示すものだそうです。写真は、梯子のてっぺんまで登りきって、爆竹をならしているところです。


古永の刀竿節 刀の梯子を登る祈祷師

お祭りの広場の周りには、食べ物、服、小物などの露店や、射的場などもあって、人出も多く賑やかで、見て歩くのが楽しかったです。広場の舞台では、近隣のリス族の人々の踊りが次々に披露されて、楽しげに踊るおばちゃんたちの笑顔が印象に残りました。




刀竿節で踊る人


3月15日。旅も終盤です。騰冲から飛行機で昆明へ飛びました。昆明では、世界遺産の石林を観光しました。石林を訪れるのは3回目ですが、電気カートに乗って広い石林を巡ることができ、大変観光しやすく変わっていました。


石林


3月16日。昆明?上海、そして羽田へと帰りました。
中国は、高速道路も高速鉄道も伸び、飛行機が発達し、街も整備されて便利になっていきます。そんな変化の中でも、素朴な暮らしが見えたり、民族衣装のおばあさんがいたり、ホッとする瞬間があります。

雲南省の明るい日ざしで日焼けして、楽しかった旅を終えました。